9浪アラサー早大生のコロナ奮闘記② 教育学に則った人道的行動
こんにちは、9浪はまいです。
今日は、寄付に使った金銭をどこから捻出しているかについてお話しします。
私は今回の寄付に際して、20万円という大金を捻出したのですが、これは給付型の奨学金を使用しています。1年生の時と2年生の時に、大学側に成績と収入を考慮して頂いて、それぞれ年額で40万円、合計80万頂いた蓄えから支払っています。
ここで、皆さんも疑問に思われたかもしれません。「収入を考慮して頂いて」ということは、私の家庭は決して裕福ではないということです。その通り、私は年収200万円の家庭で生まれ育ち、現在住んでいるアパートも家賃は3畳で24000円です。
そんな私が、親の年収の10分の1を支払うなど、とんでもないことに思えるかもしれません。
しかし、これにも私なりの信念があります。
私は9浪して早稲田大学の教育学部に入ったと、前回の記事で言及しました。一般的な大学の教育学部は、教員を養成するカリキュラムを組み、教師になるための人間を育てる傾向があります。しかし、私が入った大学はその限りではありません。データによると、学生は必ずしも教師を目指すわけではなく、実際に教師になる方は1割にも満たないのです。それはなぜか。実は、私の大学の教育学部は、社会に出てから人道的な行いができる人間を育てる「教育学」を教える学部なのです。
例えば、その教育学の理念を社会に出てから生かした方として、教育学部の前身である高等師範部に在籍していた杉原千畝さんという方がいます。彼はリトアニアで日本領事館の領事代理であった時、勤務先の外務省の命令に背いてもビザ発給を行い、ナチスドイツの迫害を受けたユダヤ人たち約6000人の命を救いました。
「外交官としてではなく人間として当然の正しい決断をした」
という彼の発言はあまりにも有名ですが、
人道的に正しい行動理念を学んだからこそ、教育学を学んできた方だからこそ、この言葉が出るのだと思います。
私はいつも、奨学金申請書の理由を述べる欄に「学費に充当するため」と書いて提出しています。
一見、今回の私の行動は学問とは関係ない類のものに思えるかもしれません。しかし、私の今回の行動も、2年間教育学を学んできたからこそ取ろうと考えたことです。
人を救うための学びに使うはずだった奨学金は、例え申請の際の使用理由が違っても、人のために使うという理念が一致していることから、私は適切な選択であると考えています。
早稲田大学教育学部で学ぶ一人の人間として取るべき行動であったと思っております。
後は、それが自己満足に終わらないように、実際にマスクを現地で使って頂き、少しでも病院の方々や高齢者施設の方々の心理的負担を軽減する役目を果たしてくれればと思っています。